第6回『嫌われる勇気』編( 6 )
【一番大事な人がホラ いつでもあなたを見てる I can tell】
(B'z『ultra soul』から引用)
窓とドアを蔦のように覆っていたわたしの「理屈」は、この本と向き合うほどに可視化されていきました。
「どのような行動を起こせばこの状況を脱することができるのか」ということをこれまで散々考えてきましたが、本書を読んでいたら、「見えなくても手探りで蔦をよけ、ドアノブに手をかけさえすれば外に出られる」という当たり前な事実を思い出しました。
もしかしたら、この本を開いたとき、すでにドアノブを掴んでいたのかもしれません。なかったのは、扉を開ける勇気だけ。
アドラー心理学では「信じる者は救われる」とは言いません。
信じるところから裏切られるところまで、すべてが自己責任であると語ります。言語化すると、これもとても当たり前の話ですね。
ですがこれまでのわたしは、信じさせた方、裏切った方に責任があると思っていました。
そしてこの本は、蔦を切ってくれるわけではありません。この本が灯りとなり、照らしつづけてくれるわけでもありません。ただ、横に続く線上で並走している。そして一緒に走りながら
「ガンバレー!」
と、声をかけてくれる。わたしはそれを、やさしい、と感じました。
アドラー心理学では、原因論(例:不安だから外に出られない)を否定し、目的論(例:外に出たくないから、不安という感情をつくり出している)の立場をとるそうです。
ここで、哲人と対話をしている「青年」は、読者のわたしとほぼ同じ反応をしていました(「なんてスパルタなんだ!」という感じです)。しかし、生きていくにはそのような視点も必要なんですね。
八方塞がりのとき、自分が消えるほかないのかもしれない、と思いました。
原因論的な考え方をすれば「ガンバレー!」なんて言葉は出てきません。もうがんばっていますから。寄り添ってくれると思います。それもやさしさです。
しかしそれでは根本的な解決にはなりません。部屋は覆われたまま、「理屈」という「人生の嘘」で体を固めて、動けないまま。
アドラー心理学では、わたしの言い訳や理屈には耳を傾けないでいてくれます。
「あなたがそこにいるのは、そこにいたいからだ」
「あなたがそこにいたくないと願うなら、今すぐにそこから出ることができる」
と言います。そして、
「サポートはしてやるから、がんばってみたらいいんじゃない?」
とも言います。
長年本を読めないと思い込み、読んでこなかったことと重なります。読みたいと願ったら、こうして猛烈に読めていること。読めなかったのではなくて、読まなかっただけなのかもしれない。
本書のページ数でいえばだいぶ序盤なのですが、もうここらへんでファイティングポーズをほどきました。もはや正座です。
ちなみに、「アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します」(岸見一郎, 古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 p29)とする場面がありますが、これも目的論に基づいた発想というわけです。
ここは一度読んだだけでは納得できなかった部分です。過去に負った傷であっても、今傷跡として残っているのだから、なぜ否定されねばならないのか分かりませんでした。
アドラー心理学において断固としてトラウマを否定するのは「あなたはその傷に縛られることなく生きることができる」、言い換えると「あなたはいつも自由なんだ」ということを証明するためなのかもしれません。
【第7回へつづく】
中村(すなば書房):アドラー心理学、捉え方によっては毒にも薬にもなりそうですね。「トラウマの否定」には、わたしもエッ!となりました。市村さんの解釈が助かります。
市村:踏み込んだ内容になってきましたね!最近はチャゲアスのことを1日中考える日が多いです。
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
著者:岸見一郎, 古賀史健
発行元:ダイヤモンド社
初版発行:2013年12月
市村柚芽/いちむらゆめ
生活の一部として絵を描く。
好きな音楽はデヴィット・ボウイの「Starman」。
HP:https://www.ichimurayume.com/