第10回『嫌われる勇気』編( 10 )

 

【希望と失望に遊ばれて 鍛え抜かれる Do it】
(B'z『ultra soul』から引用)

 本エッセイは更新毎に書いているのではありません。『「嫌われる勇気」編』は、2024年11月頃に書き終えた文章を、分割して連載しています。「まえがき」でも述べましたが、もともとはひとつの記事で完結する内容の文章にするつもりだったものの、気がつけばすごい文字数となってしまったため、このような形にて発表させていただいています。
 まさか、あのとき書いた文章を分割すると、余裕で連載第10回目を迎えてしまうなんて。文字数もそうですが、なぜか今までのわたしの集大成のようになってきていることも。ややこしい自分が本についてのエッセイを書き出したらこういう方向にいくのかと、自我自驚き(じがじおどろき)です。
 それに、『「嫌われる勇気」編』が終わった後、わたしは他に言いたいことなんてあるんだろうか、とも思います(不定期連載なので、言いたいことができたらまた書かせていただこうと思います)。でも、出し惜しんでいると忘れてしまいそうなので、もう、全部書いてしまおう、と思います。

 『「嫌われる勇気」編』の連載が始まってから、前半では『嫌われる勇気』に出会うまでのことを、後半では出会ったときのことを書いてきました。
 第10回目からは、出会ったあとに改めて感じたことや、考えたことを中心に書いていきます。

 最初に『嫌われる勇気』というタイトルを見たとき、その語呂に嫌悪感がありました。そんな言葉が大きく印刷されたこの表紙は、喧嘩を売っているように見えます。なんだか腹が立つので、できるだけ触りたくないタイプの本です。

 このタイトルに否定的な印象を抱いたのは、「積極的に嫌われましょう」とか「他者と対立して徹底的に我が道を歩みましょう」とか、他者に耳を傾けないことや、対立することを無責任に推奨しているように思えたからです。
 しかし、この本における「嫌われる勇気」の意味とは「他者から嫌われるかもしれないということにとらわれず、最終的には社会との調和を目標とし、目の前の坂を登っていこう」と、 対立よりもむしろ調和を強く主張していると解釈できます。

 実態がどうであれ、違和感を抱かせるような言葉は今のわたしでも好きではありません。しかし、表面から受けた印象だけで、それを知ったような気になっていたのは、もったいないことだったなと、今となっては感じます。
 そして、きっと今までもそういう視点から、多くの出会いや糸口を自分でバッサリ切っていたのだろうと気づきます。そこに未練や後悔はないのですが、しかし、八方塞がりとなったのは、それが原因でもあったということです。

【第11回へつづく】

 

 

中村(すなば書房):毎週たのしく更新の準備をさせていただいている本エッセイも、ついに第10回を迎えました!『ultra soul』引用箇所が個人的にすきなフレーズでさらにうれしいです。

市村:ここ最近、「我に返るな/鈍くなれ/振り返るな/今を生きろ」という言葉を反芻しまくっています。

 

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
著者:岸見一郎, 古賀史健
発行元:ダイヤモンド社
初版発行:2013年12月

 

市村柚芽/いちむらゆめ
生活の一部として絵を描く。
好きな音楽はデヴィット・ボウイの「Starman」。
HP:https://www.ichimurayume.com/