第9回『嫌われる勇気』編( 9 )

 

 アドラー心理学では「共同体感覚」という言葉が出てきます 。
 これは、幸福なる対人関係のあり方を考えるときの最も重要な指標となるものです。本書では、このように説明されていました。

「他者を仲間だと見なし、そこに『自分の居場所がある』と感じられることを、共同体感覚といいます」
(岸見一郎, 古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 p.179)

 ここで語られる「共同体」の範囲はとても広大なもので、理解が難しい概念であるとされています。
 ここで誤った認識をしてしまうと、アドラー心理学全般を歪んで捉えることになってしまうような気がしていて、だからわたしは本書を読み終えても勉強を続けています。
 共同体感覚について、アドラー自身も「到達できない理想」であると認めているそうです。あくまで理想であると。その存在を考えていたとき、B'zの『RUN』に出てくる歌詞の

【約束なんかはしちゃいないよ 希望だけ立ち上る
だからそれに向かって】
(B'z『RUN』から引用)

 この、煙のようなイメージの「立ち上る希望」みたいなものこそが「共同体感覚」なのかなと解釈しています。

 対人関係において、「課題の分離」がスタート地点であるのに対し、「共同体感覚」はゴールであるとされています。 そしてそのゴールにいたるまで、アドラー心理学ではどのようなアプローチを提唱しているかということも、本書では具体的に語られています。

 ちなみに共同体感覚は、アドラーが軍医として第一次世界大戦に参加したときに初めて披露したものとされています。
 アドラーは戦争について「進歩と文化を救うために、廃止しなければならない人類最大の災い」(岸見一郎『アドラーを読む 共同体感覚の諸相』 p.35参考)と語ったそうです。

 また、本書では

「自由とは、他者から嫌われることである」
(岸見一郎, 古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』 p.162)

と語られています。最初に読んだとき、わたしはまた「青年」と同じような反応をしてしまいました。(「ハァ!?」という感じですね)
 自由とは「組織からの解放」ではなく「自分の生き方を貫くこと」なのだそうです。ここを読んでから、改めて考えていくと、アドラー心理学が「自由」を重要視する理由が少し分かってきました。

「人は世界から切り離して存在することはできず、どんな形であれ、世界に影響を与えないわけにはいかない」
(岸見一郎『アドラーを読む 共同体感覚の諸相』 p.41)


【そして戦うウルトラソウル】
(B'z『ultra soul』から引用)

 承認欲求の否定についても、トラウマの否定/目的論についても、 課題の分離や共同体感覚についても。また、断固として自由を強調する姿勢。アドラー心理学の断片をかき集めたら、また、 ゴールである「共同体感覚」と地続きになっているものとは、 きっと、「個人の幸福」です。

 しかし、これは本書では語られておりませんでしたが、アドラー心理学における世界の捉え方をしたとき、その最終地点には、きっと「個人」の範疇を超えた、過去のしがらみから解き放たれた健全なる「社会」があるのかもしれないな、と、感じられました。

【第10回へつづく】

 

中村(すなば書房):気になったので「アドラー 軍医」で検索しました。アドラーという人間を知ろうとすると、「共同体感覚」についてもう一歩理解が深まりそうです。

市村:アナタトワタシデサア アシタノタメニ BANZAI!
テキモミカタモナイゾ カガヤクイマニ BANZAI!
先日はじめてB'zの「BANZAI」を聴いて衝撃でした。たまりませんね。

 

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
著者:岸見一郎, 古賀史健
発行元:ダイヤモンド社
初版発行:2013年12月

『アドラーを読む 共同体感覚の諸相』
著者:岸見一郎
発行元:アルテ
初版発行:2006年6月

 

市村柚芽/いちむらゆめ
生活の一部として絵を描く。
好きな音楽はデヴィット・ボウイの「Starman」。
HP:https://www.ichimurayume.com/